■聖闘士星矢 天帝ゼウス・天界編
6.「神々の霊峰」
オリンポス山。
ギリシャ北東部、テッサリアとマケドニアの境でエーゲ海を見下ろす、ギリシャの最高峰である。
かつてオリンポスの神々が住んでいたとされるその山の頂上には、炎と鍛冶の神であるヘパイストスが建てた
神々の神殿があり、そこに入るためには、季節を司るホーライの女神に守護された雲の門を通らねばならなかったという。
神話の時代、華やかな緑に彩られた神殿で神々は酒宴を開き、文芸の女神であるムーサ達が楽曲を奏でたとされる。
一面真っ白な雪で覆われた急な勾配の山道を、三人の聖闘士が登っていた。
蛇使い星座のシャイナ、ユニコーン星座の邪武、ヒドラ星座の市である。
「ここが、オリンポス山か‥‥」
邪武はひたいに流れる冷汗を拭う。
そのつぶやきに答える事無く、シャイナがふと足を止めた。
「姉さん、どうしたんで‥‥?」
それに気付いた市が、首をひねって一緒に足を止める。
「うっ!」
一人進んだ邪武は危険を察知し、瞬時にその場から飛び退く。
人間大の岩が数個、頭上の崖から雪崩のような雪を伴って、目の前の山道に落下した。
「気を抜くんじゃないよ!」
シャイナの鋭い叱責が飛ぶ。
「どこに天闘士が潜んでいるかわからないんだ。今のが敵なら、確実に一撃もらってたよ」
三人は身軽に岩を飛び越え、警戒しながら歩を進める。
「しかし、やはり麓とはまるで空気が違うな‥‥」
邪武の言葉に市が激しく頷く。
「霊峰と言われているだけあって、薄ら寒いざんすねぇ‥‥それにここら一帯、生物の気配がまったくしないざんす」
市はブルブルと大げさに体を振るわせながら、雪で真っ白に覆われたオリンポスの山肌を眺めて言う。
雪による寒さとはまた違った冷気が、市の体を冷やし鳥肌を立たせていた。
「あぁ、水を打ったかのような静けさだ。まるで、何者も足を踏み入れないように結界でも張られているような‥‥」
口にしたシャイナは、不意に頭上からの気配を感じて足を止める。
同時に気付いた邪武と市も、構えを取って頭上を仰ぎ見た。
「ククク‥‥」
まるでこだまのように、反響した笑い声が色々な方向から聞こえる。
「この古しえよりの神の聖域に、聖闘士の小ネズミ共が迷いこんだか」
その言葉に三人は気を引き締める。
「天闘士か!」
敵の姿を捉えるために、目を凝らして崖上を見回す。
その刹那。
「眩め、死の光暈に!ブリンディングハレーション!!」
叫び声と共に鮮烈な光が頭上で弾け、目に鋭く差し込む。
「うわぁあっ!」
三人は両腕で光をさえぎるように目を覆おう。
しかし一瞬遅く、目の裏側に焼きつくような衝撃が走った。
「うぅっ!なんだこれは!‥‥目が、目がまったく見えない!?」
邪武と市の二人が両目を抑えてうろたえる中、前方の山道に七人の天闘士が降り立った。
「ククク。やつらの目はつぶれた。後はなぶり殺すだけよ!ゆけ!!」
二対四枚の翼を持った天闘士が、一対の翼の天闘士達に号令をかける。
一対の翼の天闘士達は、それぞれ三人ずつに分かれて邪武と市のもとに駆け寄る。
「むっ?たしか聖闘士の小ネズミは3人いたはず‥‥」
二対の翼の天闘士はつぶやいて首をひねった。
「目眩ましが得意なのかい?」
背後から、首筋に手刀が当てられていた。
「うっ!いつの間に!?」
驚愕した二対の翼の天闘士は、地面を蹴って背後のシャイナから距離を取る。
「フッ。どうやら、仮面のおかげで多少光が防げたようだね」
シャイナは爪を立てた両手を掲げて構えを取る。
「それに、たとえ目がつぶされたところで、小宇宙を感じ取ればお前の位置などまるわかりさ!
やる事があるんでね。さっさと終わらせてもらうよ!」
シャイナの背後に巨大な毒蛇が浮かび上がり、右手が閃光を放った。
「サンダークロウ!!」
放たれた閃光の毒牙は、天闘士の目前で空を切る。
「うっ!これは一体?」
繰り出した拳は、間違いなく天闘士に当たるはずだった。
いかに視覚が弱ったとはいえ、これ程の近距離で技が当たるか当たらないかの距離感を間違えるはずがない。
ひたいに汗を浮かべるシャイナに、天闘士は笑みを見せる。
「クククッ。どこを狙っている。オレの技がただの目眩ましだとでも思ったのか?」
不意に、シャイナの体を強烈な違和感が襲う。
「こ、これは‥‥目だけではない‥‥聴覚、触覚、嗅覚‥‥あらゆる感覚が狂っている‥?」
「その通り」
天闘士は愉悦に顔をゆがめた。
「怪魚レモラの神経毒は、視覚だけでなく視神経を通して五感の全てを狂わせる。
小宇宙を感じ取るどころか、もはや、オレの声がどこから聞こえてくるのかすらもわかるまい?」
天闘士は両手を合わせるように構えを取った。
「次の一撃でお前の息の根は止まる。この能天士レモラのアカマスの手によってな!」
アカマスの合わせた両手から巨大な渦潮が生まれ、その渦潮の流れに乗るように無数の魚群が溢れ出した。
「スクールインパージョン!!」
魚群は渦潮と共にシャイナの体を通り抜け、喰らい付く様に無数の衝撃を与える。
「うあ〜っ!」
シャイナは吹き飛ばされ、純白の雪の中に倒れ込んだ。
―う、うぅ‥‥こんなところで倒れるわけには‥‥―
シャイナは、脳裏に浮かび上がった記憶を手繰り寄せる。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「オリンポスへ‥!?」
シャイナは思わず聞き返した。
アテナの寝所。
十二宮を抜けた先にあるアテナ神殿の最奥の小部屋。
月面宮に姿を変えた聖域の中で、かろうじて形を残していたその寝所で、沙織はシャイナと話していた。
「そうです。オリンポス山に調査へとおもむいて欲しいのです」
石造りのベッドの前に立った沙織は、シャイナを正面から見据えて答える。
シャイナはひたいに汗を浮かべる。
「確かオリンポスといえば‥‥かつて神々の住まう霊峰とされ、何人たりとも近付く事のできない聖域であったと」
シャイナの言葉に、目を閉じた沙織は深く頷く。
「ええ。しかし神話の時代に、天帝であるゼウスを含む全ての神々はオリンポスを引き払い、天に昇ったといいます。
その理由は明らかになっておらず、ただその事実が言い伝えとして残されているのみ」
沙織のその言葉に、シャイナははっとする。
「ま、まさか、それでは‥‥!」
沙織は頷く。
「その理由に、今回の聖戦のカギとなる秘密が隠されているのではないか‥‥そんな予感がしてならないのです」
「な、なんと!!」
シャイナはそれ以降の言葉を継げず、ただ無言で目を見開く。
沙織は目を開けてシャイナの目を見据えた。
「シャイナ、あなたには幾人かの青銅聖闘士を率いて、その秘密を解き明かして欲しいのです‥‥お願いできますね」
その言葉に我に返ったシャイナは、床に片ヒザをつき頭を下げる。
「はっ」
短く、そして決意に満ちた声で答えた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
―そうさ‥‥この聖戦を左右する何かがこの山に隠されているかもしれないんだ‥‥こんな所で
やられるわけにはいかない‥‥!―
シャイナは歯を食いしばりゆっくりと立ち上がる。
「ほぉぅ」
アカマスは片眉を上げ、少し驚いたようにシャイナを見る。
「スクールインパージョンを受けて立ち上がるとは、さすがはアテナの聖闘士。女と言えどなかなかのものよ」
小馬鹿にしたように言う。
「くっ!」
シャイナは拳を繰り出す。
しかし、繰り出した無数の拳はことごとく空を切る。
距離感のつかめぬシャイナの拳を軽くかわしながら、アカマスは蹴りを放った。
腹に蹴りを受けたシャイナは、受身も取れず雪を散らして地面に倒れこむ。
―くっ‥!せめて、ヤツの正確な位置がわかれば‥‥!―
シャイナは雪に埋もれながら歯噛みする。
「ククク。このアカマス、あいにくと女をいたぶる趣味は持ち合わせていないのでな。
今度こそ、この一撃であの世へと送ってやろう」
アカマスは小宇宙を高めながら両手を合わせた。
その両手から巨大な渦潮が生まれ、その渦潮の流れに乗るように無数の魚群が溢れ出す。
「スクールインパージョン!!」
「飛べ!シャイナ!!」
突如響いた声に弾かれるようにシャイナは地面を蹴った。
残る力の全てを注ぎ込み身を翻して飛んだシャイナの下方で、アカマスの技の衝撃を受けた雪が煙のように広がる。
「今だ!地面を狙え!」
再び声が響いたその瞬間に、シャイナは疑う事なく真下に向けて爪を立てた右拳を繰り出す。
「くらえサンダークロウ!!」
「なにいっ!?」
思いもかけぬシャイナの動きに驚愕するアカマスは、一瞬反応が遅れる。
その一瞬に、シャイナの爪から疾った閃光の毒牙がアカマスを貫いた。
「ぐぅわぁああ〜っ!!」
毒蛇の衝撃に体を貫かれたアカマスは、雪の敷き詰められた地面に倒れ伏した。
そして、地面に落下し自分同様に倒れ込んだシャイナを目で追いかける。
「‥‥着地すらできないその体で、なぜオレの位置が‥‥こ、このオレが、女などに負けると‥いうのか‥‥」
アカマスは、最後まで言い切る事なく事切れた。
―‥‥なめるんじゃないよ―
ゆっくりと起き上がり、体の雪を振り落としてシャイナはつぶやく。
―‥‥この蛇使い星座のシャイナ‥仮面をつけた事でとうに女は捨てている。
地上の平和を守るために戦う‥‥一人の闘士なのさ‥―
不意に体の力が抜け、地面に倒れそうになるシャイナを一人の聖闘士が支えた。
鷲座の魔鈴である。
「‥‥礼は言わないよ。ずいぶん遅かったじゃないか魔鈴。どこをほっつき歩いてたんだい‥‥」
「すまない」
憎まれ口を叩くシャイナに短く詫びを入れた魔鈴は、シャイナの肩の下に腕を差し込んで肩を貸す。
その視線の先には、天闘士達と戦う邪武と市の姿があった。
二人の青銅聖衣の損傷とアンダーウェアに刻まれた傷が、長引いた戦いの激しさを物語っている。
「おら!これで仕舞いだ!ユニコーンギャロップ!!」
まるでユニコーンが宙を舞うかのように三人の天闘士の間を渡る邪武は、次々と空中から蹄の一撃を加える。
天闘士達は叫び声を上げて吹き飛ばされ、地面に倒れ込んだ。
市の周囲には動きがない。
先程まで市に攻撃を加えていた天闘士達は、市を取り囲んだまま微動だにしない。
「う、うぅ‥」
不意にうめき声を上げて、天闘士達が倒れこんだ。
「メロウポイズン」
市が目を閉じて言う。
「フッ、ヒドラの毒に侵された者は、一つの例外もなくことごとく息絶えるのだよ」
右拳の聖衣の鉤爪を掲げる。
「目が見えなくなったのも、感覚がおかしくなったのも、どうやら一時的なものだったみたいだな。
敵の攻撃を受け流しながら戦ってるうちに、少しずつ感覚が戻ってきやがったぜ」
邪武は肩で息をしながら、腕の感覚を確かめるように肩をぐるぐる回す。
「ヒィ、ハァ。レモラの神経毒とやらも大した事のない。ヒドラの毒の足元にもおよばないざんすね」
邪武の言葉に同意するようにうなずきながら、市は荒い息を大きくついた。
そんな二人を見て、シャイナは仮面の下でわずかに微笑む。
「よし、先を急ぐぞ!」
シャイナの号令にうなずくと、四人は再び雪の山道を登りだした。
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